第一話 すでに、何者かの間合いに入ってしまった

 両親を失ってしまったヤネリは、ウチナリに引き取られることになった。また、生まれたばかりのヤネリの妹はマホと名付けられ、暮らしに余裕のある村長の家で育てられることに決まった。
 ミヒルとイセイ、オキヒは村長宅に一泊し、情報を交換していた。
「普通、狼の群れは十匹以上まとまって行動しないんだが。山のぬしが現れてから群れが巨大になったな」
 狼の群れが大きくなったのは、タカマ山に巨大な狼が現れた数年前からだったとワケノは思考を巡らせる。
「そうだったな。あの狼の群れは今まで村の家畜は襲ってたが、人を襲うことはなかったのにな。俺たちが狩りをしてるところを時々じっと見てたりもしてたな」
 タカハも山の主に思いを馳せると、ワケノが笑う。
「隠れてるつもりだったんだろうが、あいつはでかすぎるからな。獲物の横取りでもされるのかと思ったが、そんなふうでもなかったな。何がしたかったのか」
 ワケノはそう話すが、オオシの気配の消し方は優れていた。ワケノやタカハの感覚が鋭いので隠れているオオシに気づくことができていた。
「しかし、言葉を話せたのか。俺も話してみたかったな」
 村人を殺されたことは許せないが、話ができるなら衝突を回避できていたのではないかとタカハは感じていた。
「あの狼、仲間を殺された復讐をしたんだってヤネリちゃんが言ってましたよ」
 ヤネリを村に連れてくるまでの間にイセイとヤネリはそんな話をしていた。
「山の主がそう言ってたのか?」
 意外な情報にワケノは片眉を上げる。
「はい。ヤネリちゃんからの又聞またぎきですけど。ええと、『群れの仲間を殺した』とか『あんな男を住まわせて』とか言ってたらしいですよ」
「そうか……家畜を守るために追い払うくらいにしておけと言っていたんだがな」
 ワケノはため息をつく。狼に手を出したらこんな事態になるのではないかと危惧していたが、あたってしまった。ワケノたちが狩りで村を留守にしているときに襲われたのも運が悪かった。それとも、言葉を話すほどの知性があったのなら、隙をねらわれたのだろうか。ただ、オキヒやウチナリたちのおかげですでに狼の群れを解体することができていたのは不幸中の幸いだった。
「あれが山の主だったんですね。少し困ったことになりました」
 ミヒルとイセイがここを訪れた目的は山の主を探すためだった。それをミヒル自身の手で討伐してしまっていたとは。
「ミヒル様、仔狼がいましたね。あれは山の主の子どもではないでしょうか?」
 主の子どもであれば次の山の主に育つのではないかとイセイは考えた。
「ああ、そうでしたね。代わりとして問題ないでしょう」
 狼ならば、成獣になるまでそんなに時間はかからないだろうとミヒルも同意する。
「ちょっとおもしろそうだね。僕もついて行っていいかな?」
 オキヒは基本的に暇だった。ヤネリとサクは見つかったので、次の暇つぶしとして良さそうだと感じた。
「人手は多いほうが探しやすいでしょう。オキヒ様、よろしくお願いします」
「うん。それじゃあ、お邪魔するよ」
「それでは、山の主の死骸を起点にして探すことにしましょう。仔狼はそこにいましたから」

 ミヒルの提案で彼らは村長宅を出て山の主を討伐した地点を目指した。しかし、昨日ミヒルが斬り殺した山の主の死骸は、すでに無くなっていた。
「おかしいですね。これだけの血痕が残っていますし、景色も見覚えがありますから、場所は間違えていないと思うのですが」
「はい、私も間違いないと思います」
 ミヒルとイセイがいぶかしがっていると、オキヒが会話に加わる。
「ここには昨日、村人のウチナリくんと来たけど、いまと同じように血痕だけあって死骸はなかったよ」
 その発言にミヒルは驚く。
「……それは、まだ明るいうちですか?」
 ミヒルとイセイが山の主に遭遇したのは昼前だったはずだ。
「うん、昼過ぎくらいだったと思うよ」
「それはおかしいですね。私が山の主を斬ってから時間がさほど経っていません」
 ミヒルの感想にイセイも同意する。
「ええ。あんなに大きな獣を運べる獣はいないでしょうし、村人がなにかしていたら村長たちが話してくれていたはずです」
 彼らはその場で考え込む。
「獣でもなく村人でもなく、それ以外の何かが連れ去ったと考えるのが妥当かな」
 オキヒの意見にミヒルとイセイは頷く。
「そうですね。とりあえず、死骸の消失については、今は置いておきましょう。手分けして仔狼を探しましょうか」

 ミヒルは森の中を北へ進んでいた。漠然とした勘のようなものだったが、なにか不穏なモノの気配を嗅ぎ取っていた。イセイを危険にさらすような真似はできない。
 仔狼は小さな獣だった。自分の手の中で暴れていた軽い感触はまだ記憶に新しい。意識は低いところを中心に向けておく。辺りにはいつの間にか生温なまぬるい風が吹いている。湿度が高く、貫頭衣ふくが肌にまとわりつく。昨日まで着ていたふくは、目立つからと村長たちに着替えさせられていた。
 そのまま進んでいくと、なにか腐ったような臭いがただよってきた。顔をしかめる。初めて森に入ったときに感じた臭いとは、また別のものだ。森の木々は背が高く、鬱蒼うっそうと茂っている。木の葉にさえぎられて、昼間でも陽が隠されて辺りは薄暗い。
 さらに歩みを進めていると、遠吠えが聞こえた。それほど離れていない。遠吠えが聞こえた方角へ向かい、気配を消す。森の明るさに変化を感じる。森の中にいるとわからないが、太陽が雲に隠れたような感じが近い。濃い影が通り過ぎたような感覚。臭気も強まっている。
 静かに周囲を見回す。何もいない。目に見えるところには、異状はない。ただ、何かが近くにいる。警戒を強める。歩みを止め、周囲に向けている意識を鋭くする。すでに、何者かの間合いに入ってしまった、という感覚がある。かかとを浮かせ、剣を抜いて力を入れずに構える。呼吸を細く。思考を放棄し、周囲の状態を身体全体で感じる。
 一歩、左足を軸に前へ飛ぶ。飛んでから気づく。後ろから迫っていた何かを。着地した右足を軸に、剣を後ろへぐ。手応えはない。遅れて振り向く。そこには、大きな獣が立ちはだかっていた。

 獣には、首から先がなかった。

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