夜。数日前に狼の群れを一掃した村の時間は穏やかに流れている。村の外れには、大勢の村人たちの遺骸が甕棺に入れられ、土の中に埋められていた。
ゆらり、ゆらりと酒に酔ったような足取りで近づく男が一人。焦点の合わない目で男は墓場を眺めると、右手を伸ばす。男の掌からずずっ、ずずっと細長い棘の生えた鞭のようなものが伸びていく。鞭は土を掘り返し、甕棺の中へ侵入する。遺骸たちは一体、また一体と侵入してきた鋭く尖った鞭の先端に優しく刺し貫かれていく。
鞭が抜かれた遺骸はしばらくすると呻き声を上げ、やがて甕棺を砕きながら這い出ていく。
ゆらり、ゆらり。
村人だった者たちは泥だらけのまま立ち上がる。闇の中、雲の切れ間から射す鈍い月の光に男の顔は照らされる。大勢の、かつて村人だったモノを眺めて男は嗤う。男の胸には鈍く光る珠が一つ。
男が先導する狂い人たちの行進とともに、夜の宴が始まる。
ヤマク村のヤトビは今年で四歳になる。両親は田んぼで米を作る仕事をしている。十二歳の兄と十歳の姉は一緒に遊んでくれるが昼間はどちらも田んぼで働いている。寂しいが、近所の子どもたちと木の実を拾ったり粘土をこねたりして今日も一日遊んでいた。
夜中、眠っていたところを誰かに話しかけられたような気がして目を覚ます。家の入口から覗く外はまだ暗い。近くから家族の寝息が聞こえる。夢でも見たのかな、と思って目をつぶろうとしたが、目の端に細い影が映る。
びっくりして視線だけ向けると、入口から射し込む月明かりで暗闇に目が慣れてきた。男が立っている。両手の掌から、なにか縄のようなものが垂れ下がっていた。縄にはたくさんの棘が生えていて気味が悪い。男の顔はこちらを向いていない。隣で寝ている兄のヨハと姉のヨサリの腕を引っ張って揺さぶってみる。
「……どうしたの?」
兄は寝たままだが、姉のヨサリが起きてくれた。
「お姉ちゃん、変な人がいる」
ヤトビが囁いて知らせると、姉も男に気づいたようだ。
「お父さん……」
ヨサリは父を揺さぶるが、目覚めない。
「……アアぁァああ……」
隣で寝ていた母が呻き声を上げながら上体を起こす。
「……うぅあああぁ……」
揺さぶり続けていた父も起き上がる。
「お兄ちゃん、起きて!」
ヤトビは本能的に恐怖を感じ、兄を叩き起こす。
「んぁ?」
兄のヨハも目を覚ます。が、まだ寝ぼけている。
「お母さん、ねぇ、どうしたの?」
ヤトビが母の脚をぽんぽん、と叩くが母は正面を向いたまま呻いている。唐突にがくんと異様なほど首が傾き、母がヤトビに目を合わせる。
「ヤトビ、お兄ちゃん、逃げるよ!」
ヨサリがヤトビとヨハの手を強引に引っ張る。
「えぇ?なんなの急に……」
ヨハはまだ事態を把握していない。三人が逃げ始めると父と母が歩いて後を追う。父は炉に足を引っ掛けて転び、父を踏み越えて母が追ってくる。
「……なんかわかんないけど、やばいな」
ヨハはようやく異変に気づき、後ろを振り返りつつ小走りを始めた。家を出た三人は月明かりに照らされた村の中を走る。幸い、すぐそばを歩いている村人がみつかった。
「お父さんとお母さんが変なの。助けて!」
ヨサリは村人の袖を引っ張る。
「……あぁああァ……」
ゆっくりと振り向いた村人の目は虚ろに開かれている。村人の手はヨサリの首に伸びる。
「……え……」
呆けるヨサリの脇を抜け、どん、とヨハは思い切り村人に体当たりをする。村人は受け身も取らず倒れて地面に後頭部を打ち付けるが、何事もなかったようにむくりと立ち上がる。
「ヨサリ、村長のところへ行くぞ!」
「うん!」
三人はまた走り出す。月明かりの下、大勢の村人が徘徊しているが、その足取りは皆おぼつかない。三人はもう村人に話しかけることはしなかった。
村の中をうろつく村人たちは動きが遅い。避けながら村長の家へ近づいていく。
「あ」
地面の窪みに足を取られてヤトビが転ぶ。手を繋いでいたヨサリも一緒に転ぶ。月が出ているとはいえ、夜なので周りが見えにくい。月が雲に隠れるといっそう見えにくくなる。
「ヨサリ、ヤトビ、大丈夫?」
ヨハはヨサリに手を差し出す。
「うん、ありがとうお兄ちゃん……」
ヨサリが顔を上げると、ヨハのすぐ後ろに村人が二人、ゆらゆらと立っている。
「ヤトビ、起きて!」
膝を擦りむいて泣き顔のヤトビだったが、ヨサリの肩の向こうに呻きながら歩いてくる村人が見えた。
「おねえちゃん……」
ヤトビはヨサリの後ろを指差す。子どもたちの息は荒い。走り詰めで体力は残り少ない。おかしくなった村人に囲まれ、逃げる気力が萎える。
「……だれか!」
ヨサリの叫びは夜闇の中で虚しく響く。
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