サクは狼に囲まれながら、自分の背と木の間にヤネリを庇うように体をずらす。右の狼が飛びかかろうと四肢に力を込めるのが見えた。絶対に敵わないことはわかっている。それでも、ヤネリだけは守らなければならない。
 母からいつもサクはお兄ちゃんなんだから、と言われ反感を覚えることもあった。でもヤネリはいつもサクを信頼している。できることをいつもしてきたから。いまヤネリを守ってあげられるのは自分しかいない。
 この状況で自分に何ができるわけでもない。狼をどうにかできるなんて思えない。それでも、木の棒を振るって右の狼の頭を狙う。
 狼は木の棒に噛みつき、頭を振って木の棒を奪おうと暴れる。サクは体を引っ張られているうちに、左側から別の狼が襲いかかる。
「わあああああ!」
 サクは咄嗟に貫頭衣の帯に差していた小刀を左手で引き抜く。父のサマトが工房で作り護身用に持たせてくれた青銅製のものだ。左から迫る狼の口の中にサクの左手は滑り込み、狼の喉を刺した。だが左腕に狼の牙が食い込む。
「いいいぃ……!」
 呻き声が漏れる。狼は左腕に噛みついたまま息絶えた。しかし、気づけば後ろから別の狼が迫っており、首に噛みつかれる。
 こひゅ、というような息が漏れ、目の前が暗くなる。首が熱い。体は寒い。
「さっちゃん!さっちゃん!はなして!」
 ヤネリが叫んでいる。逃げて、と伝えたいが声の代わりに喉の奥から血が漏れ出す。お父さん、先生、まだかな……。
 ヤネリは狼に抱きついてサクから引き剥がそうとするが、狼が体を震わせると地面に投げ出される。ぶつけた肘と膝が痛くてヤネリの目から涙がぽろぽろと流れるが、起き上がってよたよたと狼に掴みかかる。
「さっちゃんを、はなせ」
 狼の後ろ足に蹴られ、ヤネリの脛から血が流れる。痛いけれどいまはそれどころじゃない。
「はな……」
 ぽん、と唐突にヤネリの体が吹き飛び、直後に背中を激しい痛みが襲う。息ができない。
「っ……」
 ヤネリがいたところに大きな狼が佇んでおり、こちらを見下ろしている。サクの喉元に噛みついた狼の口元からたくさんの血が滴り、サクが狼の口に力なく咥えられている。
 大きな狼が口を開く。
「今頃、我らの群れはお前の村の者たちを屠っていることだろう。村の中にいれば、生き残れるものはいない。人の子が一人では生きていけぬ。もう一度だけ問う。お前は、人の子にしては見どころがある。ついてくるなら、群れに加えても良いが、どうする?」
 サクの首から血がたくさん流れている。もう生きていないだろう、とわかってしまった。ナギはお父さんと先生を連れて戻って来るかな。そうしたら、こんな狼すぐにやっつけちゃうのに。ぼく一人では何もできない。でも。
「さっちゃんをかえしてよ。そしたら、ついていってもいい」
 ヤネリは大きな狼の目をまっすぐに見つめた。この狼は、本当はぼくのことを殺したくないんじゃないかな。なぜか、そう思った。狼は、尻尾を一振りする。
「……もう死んでいる。生き返すことはできない」
 ヤネリの目に映る狼の姿がさらに滲む。
「うん。やっぱりそうだよね」
 ヤネリは目を閉じた。噛まれるのは痛いだろうな。もうできることはなくなってしまったから、せめて自分の血は見たくなかった。
オオシはその様子を見てやはり群れに加えたいと感じた。この子どもが群れに加われば我が子と友人になれたかもしれない。だが、弱くとも家族を守ろうとする意思の強さに惹かれている。この子は決して家族を殺した相手とは相容れないのだろう。オオシと同じだ。だから。口を開けて、ヤネリに近づく。せめて一息で殺してやろう。
顔に生暖かい何かがかかるのを感じる。狼の涎だろうか。ヤネリはもう死んでしまうのだとぼんやり受け入れた。
	
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