タオツキは狂い人を連れて村外れに移住し、狂い人の意識を戻そうと奮闘しているが、いまのところ誰の意識も戻っていない。時々、狩りをしてはヤマク村に届けている。贖罪の気持ちから始めたことだった。
村外れの集落では、生きたまま狂い人となった二十人ほどの村人がタオツキに身の回りの世話をされている。世話と言っても、タオツキが念じれば自ら動くのでそれほど手間はかからない。皆タオツキの生活に合わせて食事を取り、眠っている。
タオツキは意識を取り戻してから、肉は生で食べずにきちんと調理している。身体に悪い影響はないようだが、咀嚼するのに時間がかかりすぎるし気持ち悪く感じるからだ。すべての狂い人から黒い液体を抜き取る処置を施したが、相変わらず自発的に動かず、目に見える効果は現れていない。確かめる方法はないが、まだ微かに黒い液体が身体の中に残っているのかもしれない。
ヨハ、ヨサリ、ヤトビの兄弟は毎日、両親の様子を見て話しかけに来ていた。だが、両親の意識が戻ることはなく、タオツキはその様子を見るたびに自分の罪を自覚した。この子たちのためにも意識を取り戻す方法を見つけてやりたい。
タオツキを正気に戻してくれたツグノに話しかけることが多かった。だが、一月たっても虚ろな目をしたままだ。それでも諦めることはしない、と決めていた。この程度で諦めていては、こんな自分に食事や身の回りの世話を続けてくれていたツグノに申し訳が立たない。
タオツキは最近、ツグノが自分にしてくれたみたいに食事の世話を始めてみた。まだ左太ももの痛みが酷かった頃、ツグノは動けないタオツキに寄り添って食事を食べさせてくれていた。実際、自分でやってみると気恥ずかしい。タオツキがツグノの口元に食事を運んでいくと、ツグノは口を開けて木の匙を口に含む。まるで幼い子どものようだった。それ以降、自分が命じていないのにツグノはタオツキの方を見ていることが多くなった気がする。意識を取り戻すきっかけになってくれるといい。
狩りをするときにはいつも数人の狂い人を連れて行った。狂い人たちに獲物を追い込んでもらい、追い込んだ先にタオツキが気配を消したまま待機して仕留めると効率が良かったからだ。たまに狂い人の体を動かしてやった方がよい、という考えもあった。
オトヤとアズサについては狩りをしてくるように命じるだけで、怪我もせずある程度たくさんの獲物を獲ってきたので、いつも二人一組で別行動をさせている。
その日の狩りではツグノの他に三人の狂い人を連れて行き、四人の狂い人で猪を追い立てさせていた。タオツキは茂みに隠れ、狂い人たちに当たらない方角から弓で狙う。狙いは違わず、一発で猪を仕留めることができた。自分が狂い人になってしまってから、左太ももの痛みはすっかりなくなっていた。それだけでなく、寝たきりだったはずなのに体力も上がっている。三十歳になってまだ怪我をする前、すでに体力の衰えを感じ始めていたが、それもなくなっている。だからといって狂い人になって良かったとは思わないが。
村長たちに狂い人になったきっかけを何度か聞かれたが、どうしても思い出せない。なにか恐ろしいものに会った気がするが、記憶がなくなっている。いつのまにか胸に埋まっていた黒い珠がなんなのかもわからない。自分を狂わせた原因のような気がするので、引き剥がそうとしてみたこともあったが、自分の身体とすっかり同化してしまって取れそうになかった。珠の侵食は胸の骨まで達している感覚がある。いつかまた自我を失いそうになったら、叩き割ってみようかと考えていた。
タオツキは猪の回収へ向かう。猪のそばには四人の狂い人が立っている。歩いて向かっていたタオツキは、狂い人たちの向こうから大きな熊が走って来るのが見えた。ぞわり、と鳥肌が立つ。狂い人が命を落とすほどの怪我をしたら、もう意識は戻らないかもしれない。タオツキは狂い人たちに命令し、逃走させながら熊への射線を空けさせる。
狂い人たちの足は遅いが、鈍重そうな見た目の熊は意外と速く走る。すぐ追いつかれてしまうだろう。矢を放つ。熊に当たったが、効いているようには見えない。タオツキは走り出す。狂い人になってから足の速さも人間離れしていた。気を抜くと掌から棘の生えた鞭が伸びそうになるが、必死に抑える。もう二度と自我を失うわけにはいかない。
「ツグノぉぉ!!」
思わず叫んでいた。弓を放り投げ、ひた走る。一歩、二歩、三歩。タオツキは跳躍する。森の木々は飛ぶように視界を流れていく。跳んだ先の木の幹を蹴り、さらに加速する。熊は前足を振りかぶる。タオツキは飛び込んで熊の鳩尾を狙って蹴りを入れると、熊は吹っ飛んで転がっていった。タオツキが一瞬で追いついたことにまったく気づいていなかったようだ。熊はふらふらと起き上がり、逃げていく。
タオツキは振り返る。
「ツグノ、大丈夫か!?」
駆け寄って無事を確認する。ツグノは驚いたように口を開けている。
「……タオツキさん?」
タオツキは虚を突かれ、まじまじとツグノの顔を見つめる。タオツキの両腕は勝手に震えだす。
「ツグノさん、もう一度」
タオツキはツグノの両腕を掴む。
「タオツキ、さん?」
タオツキの顔を覗き込むツグノの目に光が戻っている。タオツキの眉間に皺が寄り、両目から涙が流れる。そのまま声を上げて泣き始め、力強くツグノの体を抱きしめた。
「え、ちょっ……タオツキさん?」
ツグノの頬は真っ赤に染まっていた。
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