第十一話 その仔を返すなら、我も人の子を見逃そう

「その子のそばから離れなさい!」
 オオシがヤネリに牙を突き立てようとしているところに、敵意のこもった警告が届く。その声に抗うことがなぜか躊躇ためらわれ、振り向いた。
 そこには、今にも剣を抜く気配を見せている男と、その奥に弓を構えた女がいた。ひと目見て、只者ではないと気圧けおされる。初めてヤマク村の村長夫妻と対峙したときのことが脳裏のうりに浮かんだ。
 この人の子から離れたら、命はない。そう確信できた。特に男の方。命をり取ることに何の躊躇ためらいも見せそうになかった。オオシの逡巡しゅんじゅんの隙をつき、人の子が男たちの方へ向かって駆け出した。咄嗟とっさに押し倒して抑えつけようと爪を伸ばす。だが、人の子は故意か偶然か、転んで爪をすり抜ける。
 さらに追おうとしたところで肩に激痛が走った。気づけば信じられないほど素早く男が距離を詰め、オオシの肩に剣を突き立てていた。その時、甲高かんだかい鳴き声を上げながら小さな仔狼が走り寄り、男に向かってえ立てた。数か月前にオオシが産んだ仔だった。
 オオシの中に焦りが生まれる。なぜこの場に仔狼がいるのか。巣穴に残し、念のため数匹の狼も近くに残してきていた。また、あの男の襲撃があったのか。
 仔狼に向けて逃げるようにオオシは吠えるが、男は剣をオオシの肩から引き抜き、あっというまに仔狼を捕まえた。男は仔狼をぶら下げ、剣をその首筋に当てる。仔狼は剣の怖さを知らないのか、手足をばたつかせて暴れている。
「ミヒル様!?」
 女の叫び声は、仔狼を気遣きづかうものだ。男は反応せず、オオシの目をにらみつけている。
「その仔を返すなら、我も人の子を見逃そう」
 オオシの言葉に、男は驚いたように目を見開く。
「……いいでしょう。ゆっくりとその子から離れなさい」
 オオシが人の子から距離を取ると、男は仔狼をオオシに向かって放り投げた。くわえようと|あごを上げる。と同時に男の剣が一閃し、オオシの首は地に落ちた。遅れて、オオシの身体が崩れ落ちる。
 地面に転がり落ちた仔狼はオオシの頭にすがりつき、悲鳴を上げた。

「……ミヒル様……」
 イセイは悲しんでいる仔狼を痛ましそうに眺める。責められているように感じ、ミヒルは早口で言葉をつむぐ。
「人の言葉を話す知恵をつけた狼が子どもを襲っていたんです。生かしておくのは危険でしょう。それより、この子どもを村まで送りましょう。近くにあるはずです」
 子どもは起き上がり、ミヒルにおびえた視線を向ける。イセイに近づき、上衣の裾を掴んだ。ミヒルはため息をつく。
「行きましょう。私たちも忙しい身分です」
 子供には衝撃的な光景だっただろうか。子供から少し離れてイセイに出発を促す。
「あなた、どこからきたのかわかる?」
 イセイが子供に話しかけると村の方を指差し、三人はその場を後にした。イセイは少し気になって振り返ると、仔狼は悲痛に鳴き続け、親狼の頭に身体をこすりつけていた。

 三人が立ち去り、仔狼は鳴き疲れてオオシの頭の側で眠っていると、気配を感じたので目を覚ました。
 仔狼のそばには女が立っており、オオシの頭を眺めている。得体のしれない気味の悪さを感じ、女に向かって甲高かんだかい鳴き声で吠え立てる。
「静かにしてくれ」
 女と目が合うと命をつかまれた気がして思わず尻尾しっぽを丸めて後退あとずさる。そのまま警戒していると、女の表情がやわらぐ。オオシの目は開かれていた。
「ぁアあぁあ……」
 のどから斬り離された頭がうめく。オオシがオオシではなくなったように感じ、もう見ていたくなくて仔狼はその場から逃げ出した。オオシの額には、鈍く光る黒い珠が埋められていた。

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