第十三話 ぎゅってして

「ヤネリ……」
 ヤネリの表情は不安げだった。ヨミヤの足の後ろから顔を出し、つないでいない方の手はヨミヤの貫頭衣ふくすそを握っている。
 まだ五歳の子どもに真実をそのまま伝えてしまっていいものなのか。即決即断のワケノは珍しく迷う。ヨミヤはすでに亡くなっているから、もう一度埋葬まいそうしなければならない。ヨミヤは遠くへ行くことになった、などとごまかしたところで、いずれ真相はわかる。死者は生き返ったりしない。それを伝えればヤネリは傷つくだろう。すでに十分傷ついている。母親を二回失わせてしまう。それでも。今ごまかしてしまったら、大人を信じられなくなってしまうのではないか。
 ヨミヤが亡くなっていることを伝えても伝えなくてもヤネリは傷つく。ヤネリの孤独を分け合って、全力で支える方が良い、のではないか。ワケノはしゃがんでヤネリと目を合わせる。
「ヤネリ。お母さんはな。……もう、亡くなってるんだ」
 その場の空気が固まる。全員の視線がヤネリとワケノに集まる。ヤネリに握られたヨミヤの貫頭衣ふくしわが深くなる。
「お母さん、立ってるよ。話はできないけど」
 ヤネリの瞳がうるむ。
「うん、そうだな。立ってるな。……だけどな、本当に亡くなってるんだ。いま、村で変になってしまった人たちは、自分の意思で動いているわけじゃないんだ。なあ、ヤネリ。死んでるところを確かめたのに、歩いている人を見なかったか?」
 ヤネリはゆっくりと首を振る。
「わかんない」
 そう言ってヤネリはヨミヤのおしりに顔を押し付ける。
「そうか。わからないか。お母さんはな、本当はもう動けないんだ。だけど今は、その……他の人に動かされてるんだ」
 ワケノは、ヤネリにこれを理解してもらうのは難しいし、証明する方法がないのではないかと感じた。狼の噛み傷や、死後に腹を裂いて赤子のマホを取り出した傷を見せてわからせるのは、あまりにもこくだ。それが証明になるかと言えばそうとも言い切れない。そこへタオツキがやってきて、ヤネリとヨミヤの前でしゃがみ込んだ。
「ヤネリ、すまない。俺がお母さんを操ってるんだ。絶対にやってはいけないことを俺はやってしまった。ごめん、ヤネリ。……ごめんなさい」
 タオツキはうずくまって謝罪する。
「タオツキおじさんが、お母さんを動かしてるの?」
 ヤネリは顔を押し付けたまま尋ねると、タオツキは顔を上げた。
「そう……そうなんだ。本当に、」
 タオツキが謝罪を続けようとすると、ヤネリが言葉を重ねる。
「なら、おじさん。お母さんに、言って。僕を、ぎゅってしてって、言って」
 タオツキは目を丸くする。迷うようにワケノに顔を向けると、何かをこらえるような顔をしたワケノがうなずく。タオツキは頭の中でヨミヤに命令すると、静かにヨミヤはしゃがんだ。ヨミヤはヤネリの頭をで、柔らかく体を抱きしめる。ヤネリは顔を歪めると、両目からぽろぽろ涙がこぼれ、それから声を上げて泣き始めた。

 ヤネリはしばらく泣き続けたあと、両手で涙をぬぐう。
「ねえ、村長さん。マホを連れてきてあげて。お母さんに抱かれたことがないのは、かわいそうだから」
 マホは生まれたばかりのヤネリの妹だ。
「ヤネリ。お前は、本当に優しいな。わかった。タカハ、頼めるか」
 ワケノはヤネリの頭を撫でる。タカハはああ、とうなずいてマホを避難させている高床倉庫へ向かった。
「タオツキ、ウチナリ。亡くなった村人たちを甕棺かめかんに戻す。タカハが戻ったら、手伝ってくれ」
 タオツキとウチナリは了承の返事をする。
「タオツキ、亡くなった村人たちは、お前の支配下にあって、制御できないなんてことはないんだな?」
 ワケノが念を押す。
「はい、それは大丈夫です」
「そうか。ならそっちはすぐに終わりそうだな。今のうちに体力を回復させておいてくれ」
 少しってからタカハはナベナに抱かれたマホを連れて戻ってきた。生まれて数日のマホは起きていて、麻布あさぬのにくるまれていた。ぼんやりと目を開き、もぞもぞしている。ナベナはヤネリを抱きしめているヨミヤを見て驚く。
「ヨミヤさん……これで本当に、狂い人なのかい?」
「まあ、狂い人なんだが。落ち着いてるうちに、マホを抱かせてやってくれ」
 すべてを説明する必要はないとワケノは判断した。いずれ村人たちに説明しなければならないだろうが、狂い人たちにどんな決着がつくかまだわからなかった。
「ヨミヤさんが産んだ子だよ。首が座ってないから気をつけてね」
 ナベナはゆっくりと、首が曲がらないように支えながらマホをヨミヤに渡す。タオツキはまたヨミヤに命じると、ヨミヤはマホを受け取った。マホは「うあー」と声を発してぼんやりとした目でヨミヤの方を見る。
「マホ、お母さんだよ」
 ヤネリがマホに話しかけると、マホは「あー!」と叫んで笑顔になった。ヨミヤはぼんやりとマホを見ている。ヨミヤの表情はしだいにうっすらとした笑みの形に変わっていき、一筋の涙が流れ落ちる。それはヨミヤの顔を見上げていたヤネリとマホにだけ見えた。そうしてヨミヤの体は徐々に前のめりに傾き始める。危ないと感じたヤネリはマホとヨミヤに手を伸ばす。それに気づいたナベナもヨミヤの体を支えると、ヨミヤの体から白い煙のようなものがにじみ出した。
”ヤネリ。ありがとう。お母さん、あなたがいて幸せだったわ。元気でね”
 白い煙から声が届く。
「お母さん!」
”マホ。おにいちゃんの言う事をよく聞いて、元気に育ってね”
 白い煙はヤネリとマホの周りを飛び回り、タカマ山の方へ漂っていった。すでに亡くなっている狂い人の体からも白い煙が滲み出し、それぞれタカマ山の方へ向かっていく。ちょうどこのとき、タカマ山の洞窟でイセイとオキヒが冥界を作り、オオシが冥界の管理者となったところだった。

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