第十四話 人として生きていく

「何が起きてるんですか、これ」
 タカマ山へ漂う煙を見ながら、ウチナリが誰ともなく問う。まだ薄暗さの残った村の空を幾筋もの煙が流れていく様子は幻想的だった。
「さあな、わからん。でもまあ、せめてこのくらいの奇跡は起きたっていいだろう」
 ワケノは最期の言葉を伝えたヨミヤと、傷つきながらもそれを受け取ったヤネリに思いをせる。まだ自分が神だったなら。ヨミヤとヤネリに安らぎを与えることはできただろうか。
「なんだかよくわからないですが、もう亡くなってる狂い人を完全に操れるようになったみたいです」
 困ったようにタオツキが告白する。
「そうか。なら、とりあえず生きてる狂い人を念の為に縄で縛ってくれ」
 ワケノの指示に応じ、タオツキは亡くなった狂い人を操って、生きている狂い人たちを縛っていく。ヨミヤに引っ付いているヤネリは首を揺らして眠りそうになっている。マホはナベナが抱いていた。
「ヤネリ。これで最期だ。お母さんはもう、休ませてやるから別れの挨拶をするんだ」
 今の自分ができることはこの程度だ。けれどこれが人として生きていくということなのだろう。ワケノの言葉にヤネリはこくりとうなずいて、しゃがんで傾いたままのヨミヤを見上げる。
「お母さん。マホのことはまかせてね。ありがとう」
「うん。偉かったな。……ナベナさん!悪いが竪穴住居いえはいろいろ片付けなきゃならないから、ヤネリを連れて高床倉庫で寝かせてやってくれないか」
 ワケノは高床倉庫にいるナベナを見上げ、声をかける。
「ええ、わかりましたよ。……おいで、ヤネリ」
 梯子はしごを降りてきたナベナがヤネリを連れて行こうとするが、ヤネリはヨミヤの方を向いたまま動かない。ナベナはヤネリの気が済むまで付き合うことにする。しばらくしてヤネリはナベナと手を繋ぎ、高床倉庫へ向かった。
 ワケノとタカハ、ウチナリとタオツキの四人は手分けして、縛り上げられた村中の狂い人たちの縄を切って回る。その後はタオツキが狂い人たちに命令して切り落とされた狂い人自身の体を拾わせながら一箇所に集めた。
 ワケノはタオツキに、亡くなった狂い人たちを墓場まで歩くよう命令させた。その中にはヨミヤも含まれている。墓場に着くと、掘り起こされた土の中に多数の割れた甕棺かめかんが埋もれていた。
「この数の甕棺をすぐに用意することはできんな」
 ワケノは小さくため息をつく。
「申し訳ありません、時間はかかりますが代わりを用意します」
 タオツキが謝罪する。
「お前の意思じゃなかったんだろう。それに、埋めてしまえば甕棺が割れてるかどうかなんてわからん。みんなには悪いが、これで我慢してもらおう」
 狂い人たちは自分で土を掘り起こし、割れた甕棺の中に入っていく。すべての狂い人が甕棺の中へ入ると、ワケノがタオツキに命じる。
「タオツキ、お前が操るのを止めたらもとの亡骸なきがらに戻るんだったな」
 村人に襲いかかる狂い人の印象が強く、墓地からまた起き上がるのではないかという懸念けねんは村長として見過ごすことができない。
「そうですね。狂い人として起き上がらせるために注いだものを回収すれば、もとに戻ると思います」
 タオツキは両手のてのひらから鞭を伸ばし、甕棺に入った狂い人を順に刺して黒い液体を回収していく。
「俺とオキヒさんで戦ったときも使ってたけど、なんだそれ」
 ウチナリが鞭に注目する。冷静に観察すると自在に動いているのは奇妙だった。
「俺にもよくわからないけど、これが人を狂わせる力のかたまりみたいなものだと思う。俺の中にある黒くてどろどろした血みたいなものを形にしたらこうなる。俺の頭の中で命令してるのも、たぶんこれだ」
 タオツキは意識を取り戻してから、自分でもこの鞭がなんなのか気になっていた。狂い人として行動している間の記憶も曖昧あいまいだが残っている。何度も鞭を切断されたし、自分でも切り落としたがそのたびに鞭から血のような黒い液体が染み出していた。
「そんなの回収して大丈夫なのか」
 ウチナリは気味悪そうに鞭を一瞥いちべつする。
「これが身体の中に残ってると、また死体が動き出すかもしれない。もともと俺が分け与えたものだしな。俺の意思がはっきりしてる限りは大丈夫そうだよ」
 タオツキの鞭は次々と狂い人を刺していく。
「ウチナリ、そっちの端から土をかぶせていけ」
 ワケノが鞭を刺し終わった狂い人の方をし示す。ウチナリは今日、十分眠らないまま起き出し、狂い人と戦い続けて寝不足だった。疲れ切っていたが、動き出しそうな狂い人の警戒をしながら作業するのに適任なのは自分だとわかっていたので、すきを使って土をかけ始める。

 タカハは亡くなった狂い人たちが墓場へ向かった後、残っていた二十人ほどの生きている狂い人たちに再び縄をかけた。タオツキの命令に従っているようだが、万が一に備えるためだ。それから村人たちに自宅へ戻るよう指示を出した。
「タカハさん」
 竪穴住居いえに戻らず、タカハのもとに三人の子どもたちが残っていた。ヨハとヨサリ、ヤトビだった。彼らの両親は生きたまま狂い人になり、縄をかけられている。
「お前たちか。お父さんとお母さんだが、絶対にもとに戻るとは言ってやれん。だけど、そうだな。話しかけ続けていれば、戻る可能性はある。それでもすぐには無理だろうな。まあ、今日のところはゆっくり休め。あんまり休めなかっただろう」
 タカハの言葉に子どもたちは不安げな表情を崩さない。それでもすぐにどうにかなるものではないことはわかったのだろう。長兄のヨハに促されて三人は自宅へ戻っていった。子どもたちの背中を見ながらタカハはやるせない気分になる。
「まったく、人ってのは無力だな」
 自分がまだクハラだった頃なら、なんとかできていただろうか。そもそも村が襲われるような事態にはなっていなかったかもしれない。だが、人としてこの村にやってこなければ、十年前にヤマク村は隣村に滅ぼされていただろう。ナギが生まれてくることもなかった。考えても仕方ない。今の自分にできることをするだけだ。

 翌朝。ヤマク村にミヒルとイセイ、オキヒが赤い獣を連れて戻ってきた。

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