第八話 交渉の余地

 あれから毎日一匹ずつ、あの不気味な男に群れの狼は殺され続けた。朝方に群れの狼たちは眠りにつくが、目覚めると殺された仲間を発見する。オオシも起きて警戒していたが、数十匹の狼を常に守り続けることはできない。それを考慮しても、何度も見つからず、姿も見せずに手を下していく手段は見当もつかない。殺された仲間の傷口は何か細く鋭いもので刺されていた。
 男のにおいを辿って追いかけると、必ずヤマク村に行き着く。村に侵入するとすぐに警戒されてしまう。加えて手強てごわい村長とそのつがいがいる間は村の探索は不可能だろう。
 村人に手を出せば、村長とその番が黙っていない。だが、だからといって引き下がるわけにはいかない。村が群れに牙を剥いてくるなら、こちらから打って出るだけだ。オオシは、群れの縄張りをおかすものを決して許しはしない。その姿勢が群れの狼たちにオオシを長として認めさせている。
 村長とその番を相手取るなら、群れ全体で連携してもかなうかどうかわからない。だから、まずは留守を狙う。だがその時間は村人が活発に活動している時間なので、群れすべてを動員しなければならない。村人を蹴散らしながら、男を探し出して始末する。できれば村長とその番が戻って来る前に終わらせたい。幸い、あの二人は村を留守にすることが多い。狩りのために遠出するのだ。

 オオシは村を観察し、その機会は訪れた。村長とその番が、やっかいな狩人も二人連れて狩りへ出かけるのを見届ける。村長たちのいない村の中で警戒すべきは、いつも不快な金臭かなくさにおいをただよわせている、村外れの鍛冶場に住む男だ。子どもたちに先生と呼ばれている。たしか、名前はウチナリだったか。
 あの鍛冶場には、危険な剣やほこがある。都合が良いことに、あの鍛冶場は少し村から離れている。隣家りんかから侵攻を始め、ウチナリに気づかれないよう鍛冶場から遠ざかるように攻め進んでいけば、逃げた村人に武器を持たせることもないだろう。

 オオシは、鍛冶場から煙が上がるのを確認し、そこを村から分断するように群れを配置する。静かに狩りは始まった。小さな群れごとに裁量をゆだね、村人たちをほふっていく。オオシも直属の群れを率いて村人を襲う。
 胸に黒い珠の埋まった男を探す。あの男だけは自分の手で仕留しとめたかった。村人たちの始末は他の群れに任せ、オオシは逃げ惑う村人たちの中に標的の男がいないか探す。村中を駆け回ると、その男の匂いに気づく。
 一軒の竪穴住居いえに近づくと匂いは強まった。中に入る。しかし、匂いの元は土間に敷かれているわらまれたむしろだった。男の姿はない。村の中に男はいないようだった。
 オオシは探索の範囲を村の外へ広げる。直属の狼たちに男のにおいを覚えさせ、バラバラに探させるために解き放つ。オオシも狼を三匹連れて探し始めた。

 村の外周を一回りし、人の匂い、音などの痕跡を探る。かすかな人の匂いを辿り、森の中を進んでいくと水桶みずおけかついだ三人の人の子を見つけた。三匹の狼が人の子を襲うが、人の子たちは勇敢に立ち向かい、人の子のうち一人が逃げることに成功した。
 オオシは少し不意をつかれ、気まぐれに声をかけてみることにした。人の子に近づくと、狼たちは道を譲る。
「人の子にしては、勇気がある。……いや、我らを知らぬだけか」

 とても大きな狼に話しかけられたことに驚いたが、サクは話が通じるなら見逃してくれるのかもしれないと期待した。話しかけてみようか。全身が震える。水桶をかついでいた棒を握る手に力が入る。
「……僕達を見逃してくれませんか」
 声も震えていた。なにしろ、その狼は大人の背丈を超えるほど大きい。普通ではなかった。狼は静かに二人を見つめる。沈黙が怖い。
 ゆらり、と狼は尻尾を振る。
「お前たちの村の者が、我らの同胞を殺した。許すことはできぬ。だが……お前たちはまだ子どもだ。村と縁を切り、我らの群れに加わるなら、生かしておいてもよい」
 狼のもとで暮らすことなんかできない。サクはいろいろなものを作るのが好きだった。村のみんなに役立つものを作って暮らすのがサクの目標だった。
「みんな仲良くしなくちゃだめってお母さんが言ってたよ」
 サクの背から顔を覗かせ、ヤネリが口を挟む。突然、後ろから聞こえたその声にひやりとする。
「……仲間が殺されたのだ。仲良くはできぬ。交渉の余地はない、人の子」
 交渉ができないのなら、せめてナギが父とウチナリを連れてくるまで会話を引き伸ばすことができれば助かるかもしれない。
「どうしても許してもらえませんか。何か村であなたたちにできることはないですか」
 苦しまぎれに言葉をつむぐ。耳を貸してくれることを切望した。
「交渉の余地はないと言った。あんな男を住まわせているのだ。村を許すことなど無い」
 その言葉とともに、大きな狼の雰囲気が変わった。サクの緊張が跳ね上がる。失敗した。近しい者を殺されたら誰だって何をしても許されることはない。他の狼の気配も鋭くなり、サクとヤネリに近づく。

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