第十話 返り血を浴びた顔には、薄笑いが貼り付いていた。

 狼から幼いナギを助け出したオキヒは、ヤマク村に着くと狼に囲まれた。村では狼の群れに襲われた村人たちが逃げ惑い、騒然として収拾がつきそうになかった。ナギや、ナギに託されたやっちゃんやさっちゃんという人物について尋ねるどころではなさそうだ。
 オキヒは|おくすることもなく、殺気立った狼の群れの中に足を踏み入れていた。子供が小枝を振り回すような気楽さで腰に差した剣を抜くと、赤い刀身が現れる。無造作に近づいてくるオキヒに、あらゆる方向から狼は飛びかかる。オキヒはどこを見るともなく舞うように剣をひらめかせると、その場には狼のむくろだけが残された——かに思えたが、狼たちは叩き伏せられただけだ。
「僕は君たちに興味はないよ。襲いかかるだけ無駄だから、この場は引いてくれないかな」
 まだ意識のある狼たちはひるんだようだが、意を決して数匹がまた襲いかかる。
 オキヒは群れの長を見抜き、狙いを定める。だん、という重い響きとともにオキヒの姿が消えた。一瞬遅れて、ぼたぼたと大粒の雨が振り始めたかのような音とともに狼の長の血や臓物ぞうもつこぼれ落ちる。身体の中心から右と左に分かたれていた。人間わざではない。
 残された狼たちは恐慌きょうこうおちいり、りに逃げ去っていく。
 赤いやいばつたう血を振るい、鞘に納める。無駄な殺生をしないために力を誇示したが、人からも恐れられてしまったな、とオキヒは少し後悔した。
「ありがとうございます!」
「すまねぇ、狼に襲われて俺らだけじゃ歯が立たねえんだ。礼ならなんでもする、あんた、追っ払ってくれねえか」
 こんな状況だからか、意外にも村人たちは好意的だ。村人には話を聞くつもりだったので、オキヒは依頼を受けることにする。オキヒはナギを村人に預け、飛び回る。狼を人間離れした膂力りょりょくで適当に追い払っているうちに、ほどなくして村から狼はいなくなった。
 オキヒがナギを預けた村人のもとへ戻ると、村人たちは怪我人の世話で忙しそうだった。オキヒに気づいた村人たちから口々に感謝されたが、オキヒを恐れている様子でもない。こんな反応は珍しかった。
「やっちゃんとさっちゃんはナギちゃんと一緒じゃなかったかい?」
 ナベナと名乗る村の女性から話しかけられる。この女性にナギを預けていたがまだ目覚めていないので、向こうから尋ねてきてくれたのは好都合だ。
「この子は、ナギちゃんというんですね。僕が見つけたときは一人で歩いていましたよ。やっちゃんとさっちゃんというのは、どこへ向かっていたんですか?」
 オキヒが誰を助けるよう頼まれているのか取っ掛かりがなにもない。ナギと同じような年齢の子どもたちなのか、ナギの保護者なのかもわかっていない。
「いつも近くの川へ水汲みに行ってるんだよ。あっちの方、タカマ山を登っていくと水田と豆畑があるから、そこを過ぎたところだよ」
 ナベナはタカマ山の方を指差す。村の奥の小高くなったところに畑と、そのさらに奥には森が見えた。さらに尋ねると、やっちゃんとさっちゃんというのは、ナギと同じくらいの年齢の兄弟ということだった。
「そうですか。それじゃあ、ちょっと探しに行ってみますよ。この子にも頼まれましたから」
 オキヒの答えにナベナはにっこりと笑う。人の良さが顔からにじみ出ている。この村は狼に襲われるまでは平和な村だったのではないかと感じた。
「あら……頼まれてくれるかい?ちょっと村もこんな状態で余裕がないんだよ。私の旦那だんなに道案内させるから、家までついてきてもらえるかい?」
 オキヒはナベナから受け取ったナギを抱いてあとをついていく。子供とはいえ、女性が抱いて歩くにはそこそこ大変そうだったからだ。そこへ、血まみれの男が駆け寄って来た。走り回っていたのか、肩で息をしている。
「ナギ!サクとヤネリは無事か!」
 男は見るからに焦っている。
「ウチナリさん!怪我してるじゃないか、大丈夫なのかい?」
 ナベナはウチナリの様子を心配する。
「心配ない、狼の返り血だよ。それよりナベナさん、サクとヤネリは?」
 ウチナリの言う通り、体をかばって動いているようには見受けられない。
「どうしたんだい、そんなに慌てて。二人とも水汲みからまだ帰ってきてないよ」
 ウチナリは奥歯を噛み締めて顔を伏せ、一瞬言葉に詰まる。
「……ヨミヤさんとヒウチが狼にやられた。サマトも噛まれて、もう長くなさそうだ」
 声には悔しさがにじみ出ている。
「そんな……」
 ナベナはそうつぶやいたきり言葉を失う。
「ナベナさん、その人は?」
 ウチナリはようやくオキヒの存在に意識が向いた。
「村から狼を追い返してくれた人だよ。ナギちゃんも村に連れ帰ってくれたんだ」
 ウチナリはオキヒの腕にすがり付く。
「あんた、ナギと一緒に男の子たちはいなかったか!?」
 かすかな期待と祈りを込めてウチナリは問う。
「ああ、それをこれから探しに行くところだよ」
 オキヒの口調は軽い。それが彼の流儀だった。
「わかった。じゃあ、俺と一緒に来てくれ。手練てだれは多い方がいい」
 オキヒはナベナに目で問うた。
「ああ、いいよ。ウチナリさんと一緒に行ってくれるかい?」
 オキヒは再びナベナにナギを預ける。ウチナリはすでに早足で歩き始めている。オキヒはウチナリの後をついて川へ向かった。

 オキヒとウチナリは水田と豆畑を越え、森を進んでいる。ウチナリは暗い目をして、ずんずんと歩いていくので、オキヒも空気を読んで黙って歩いた。すると、前から狼が一匹現れる。オキヒの目にはおびえているように見えた。
 ウチナリは黙って剣を構えたが、狼がこのまま進んでいくと村の方へ行ってしまうので、オキヒはあえて止めることはしなかった。狼はウチナリと争わず、そのまま横にれて森の中へ分け入っていく。ウチナリも狼を追っていこうとしたので、オキヒは声をかけた。
「やめておいた方がいい」
「止めないでくれ!あの狼が村人を殺すかもしれない」
 ウチナリがオキヒをにらみつける。
「いや、そうじゃないよ。あの狼は何かから逃げているみたいだ。この先に何か異変があるんじゃないかな?狼よりも、子どもを探しているんだろう?」
「……そうか、そうだな。悪かった。その通りだ」
 そのままさらに進んでいくと、獣が走り回るような音が聞こえてくる。彼らは静かに、小走りに音のする方へ向かう。しばらくすると道のない森の中で、数匹の狼と剣を持った男が争っていた。ウチナリは、その男の顔に見覚えがあった。
「タオツキ……?」
 ウチナリの呟きに男はゆっくりと振り返る。返り血を浴びた顔には、薄笑いが貼り付いていた。

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