シキの自己紹介にシラスとキサイは居住まいを正し座礼した。
「俺の役割はお前たちに託して、地上で暮らそうと思う。おもしろい生き物が生まれたらしくてな。俺は神を辞める」
 クハラの話ではムスビも神を辞めて地上にいる。ホムラも地上を放浪している。神は辞めることができるもののようだ。神を生むという役割は大変なのだろうか。
「クハラ様、神々を治めるだけでも大変そうですが、それに加えて神を生む大役、わたしたちに務まるでしょうか」
 キサイも心細く感じていたらしい。
「世界はもう問題なく動き始めているからな。力のある神は容易く生まれてはこないだろう。これから世界には様々なものが生まれ、様々な概念が出てくるだろう。だがそれは、今すでにあるものから生まれてきた副次的なものだ。世界の素はすでにできている。だからまあ、最低限の仕事はもう片付いた」
 クハラはそう告げると、一着の羽織を纏った。続けて、一つの宝珠を取り出す。
「この珠には俺の神としての権能が移されている。神を生んだら、この珠を使ってその神に役割を与えてくれ。俺がしていた仕事の大部分はこの珠がやってくれる。それでも負担なら、新たにその役割を負う神を生めばいい。それじゃあな」
 そうしてクハラは地上へ下りた。
「若輩の身ではありますが、この世界の統治を任されました。至らない点も多いかと存じますが、精一杯努めますので御指導のほどよろしくお願いいたします」
 シラスとキサイが顔を上げると、シキは満足そうに微笑む。
「君たちが高圧的な統治者ではなくてひとまず安心したよ。私たち独神の中には、誇り高い者もいるからね。まずは、挨拶回りに行こうか」
 下座に座る二柱の顔に疑問が浮かぶ。
『ひとりがみ?』
 意図せずシラスとキサイの声が重なり、二柱は顔を見合わせた。
「そう、君たちを含めて今までに生まれた神は皆独神だ。独神はウジ様の力を借りて生まれた神のことだよ。自分が望むモノを生み出す力が強い。このままクハラ様が神を生み続けていれば独神ももっと増えたんだろうけどね。残念ながら神を辞めてしまった」
 本当に残念だよ、と呟いてシキは物思いに耽る。
 シキの案内で三柱は太陽神ヒルメのもとへ向かっていた。
「ウジ様は願うことで世界を作る。作られたモノへの認識に宿った意思が神と呼ばれるものなんだ。例えば、水そのものは神ではないけど、『水』という概念に宿った意思が神だ。伝わるかな?」
 シキはシラスとキサイの表情から理解度を読み取ろうとする。
「私たちの本質は概念ですか。誰が認識する概念なんでしょう?」
 シラスの疑問にどうやって説明すべきかとシキは思案する。
「相対的なものだよ。風にとっての水。大地にとっての水。獣にとっての水。風や大地などの無機物に物事を認識する能力があるかどうかはわからないけど。風や大地にとって水がどういった影響を与えるかという事実と言い換えてもいいかな。あらゆるものにとっての『水』という概念の総体で、時間とともに移り変わっていく。世界は常に変容していくからね」
 一生懸命シキの説明を聞いていたキサイは話についていこうと努める。
「あの、概念が本質だとしたら、なぜ身体があるのでしょう?」
 そんな疑問も浮かんでくるか、とシキは少し楽しくなってくる。
「その方が合理的だからだよ。身体があった方が自分を認識しやすい。ウジ様も自分を認識すると同時に身体を作った。ウジ様が自ら生んだ神はホムラ様とクハラ様とムスビ様だけど、三柱とも身体がある。実際、身体がある方が権能を使いやすい」
 権能を使う感覚はまだシラスにはピンときていない。
「クハラ様はウジ様に願って水や雲の神を生んだと聞いているのですが、私たちも同じように新たなものを生み出すことができるのでしょうか?」
 この質問については、シキは予想していた。
「いや。ウジ様に祈りを捧げて、神を——概念そのものを生み出す権能を持っていたのはクハラ様だけだ。これからは、世界が進むにつれて新たなものが生まれる。その生まれたものに対して、新たな神としての役割を与える。君たちができるのはそこまでだよ」
 残念ながらね、とシキは付け加える。
「私たちはクハラ様に神を生む役割を託されました。本来の役割は神の世界を治めることですが、これは何の概念なのでしょうか」
 シラスは神の国を治めるためのものがこの世界に存在するのかという疑問を持った。
「ああ、たしかにモノではないから想像しにくいかもしれないね。統治するという概念だよ。最近、面白い獣が生まれたんだ。クハラ様も先ほど最後まで話さなかったが、人という獣のことだ。この獣は、頭がとても良くてね。新たなものを作ったり、考え方を生み出している。これから世界にはたくさんの概念が生まれていくだろうね。もしかしたら、人は自ら統治するという概念を生み出していたかもしれないけど、クハラ様が先に生み出したからね、遠からず人の中にも統治するという概念が生まれるだろう。それとも、もう生まれているかもしれないね」
 三柱は竹林の山道を進んでいると一匹の白い仔猫が近寄ってきた。
「わあ、かわいい!シキ様、これは何ですか?」
 キサイが歓声を上げる。
「ああ、これは猫神……の、仔だね」
 シキの顔は緩んでいる。
「獣の神もいるのですね」
 キサイの声が弾む。
「うん、そうそう。先程の話には不足があったね。ムスビ様は草木や獣の神を生んだけれど、それと同時に草木や獣の神が地上で生まれるようになるんだ。ウジ様の力を借りて生まれた神ではないから、独神ではないよ」
 キサイはしゃがみ込んで仔猫を撫でると、仔猫は気持ちよさそうに目を細めた。
「私も猫が好きなんだ」
 我慢できずにシキも仔猫を堪能した。
「君はいいのかい?」
 シキはシラスを見上げる。
「いえ、私は。先を急いだ方が良いのでは?」
 言葉とは裏腹にシラスも気になっているようなので、シキは仔猫を抱き上げてシラスに近づけると、仔猫はシラスの袍に飛びついてよじ登る。恐る恐る、シラスは仔猫の頭を撫でると、仔猫はにゃあ、と鳴いた。
「これは……良いものですね」
 シラスの様子を見て二柱は微笑む。視線に気づき、こほん、とシラスは咳払いして仔猫を降ろした。仔猫を離す際、頭から尻尾まで手を滑らせる。
「……行きましょうか」
 三柱は山頂にたどり着く。そこには、広大な木造の宮が建っていた。門に近づくと、勢いよく扉が開け放たれた。
「待ちくたびれたぞ!さあさあ、早く中に入れ!私が手ずから饗してやろう」
 太陽を司る女神、ヒルメが溌剌とした様子で張り切っていた。
	
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