第五話 オトヤとアズサ

 ウチナリとアズサ、先ほど戻ってきたオトヤは新たに竪穴住居いえを回っても空振りが多くなってきた。ちょうど村の中で村長宅から一番遠い竪穴住居いえの中を探り、首を振りながらオトヤが出てきたところだった。
「ワケノさんがもう来たんでしょうか」
 アズサが尋ねる。
「そうだな。一旦いったん、タカハさんのところへ戻ったほうがいいか。すれ違いになるかもしれないから、俺はこのまま外周を回って戻る。オトヤとアズサは村の中心部を回りながら戻ってくれ。危ないと思ったらすぐ逃げろよ」
 二人は頷き、ウチナリと別れて行動を開始する。

 十年前の隣村との争いでそれまでいた村長が亡くなり、ワケノが村長になった。そのときに村長夫妻は武術や狩り、鍛冶、農業などの技能を村人たちに教え始めた。村の大人たちはヤマク村が変わったと言うが、そのころのオトヤとアズサはまだ五歳だったので、以前のヤマク村でどんな暮らしをしていたのか、あまり覚えていない。
 村長夫妻から最初に武術を教わったのはタオツキとウチナリだった。タオツキが一番武術の才能にあふれていたらしく、ともに修行をしている間にウチナリは一度も勝てなかったらしい。結婚したタオツキが狩人として暮らし始めてから、ふらりと稽古場へ顔を出すくらいだったので、オトヤとアズサにとってはあまり兄弟子あにでしという感じはしない。たまに稽古に来る分家の師範という感覚が近い。
 双子のオトヤとアズサは十歳になってからタオツキと入れ替わりで武術と狩りを習い始め、ウチナリとは一年一緒に修行した。ときどき手合わせをすることはあったが実力は段違いで、勝つ想像が全くできなかった。ウチナリが鍛冶師として独り立ちしてから三年——昨年のことだ。ウチナリが独立した年齢と同じく十四歳で二人とも狩人として認められたが、今でもウチナリに勝てる気がしない。だが足手まといとは思われたくない、というのが共通認識だった。
 空っぽの竪穴住居いえを回っていた二人だったが、村長宅の近くまで迫る狂い人の集団を見つけた。二十人くらいだろうか。幸い相手は、ふらつきながら歩いているので動きが緩慢だった。二人は息を整える。
「ここで食い止めよう」
 オトヤが決意を固める。
「これ以上、犠牲を出すわけにはいかないよね」
 アズサも同意する。オトヤは狂い人の集団に向かって突っ込んで行く。まずは、すでに死んだことが確認できている狂い人に狙いを定め、数を減らしていくことにする。狂い人と何度か戦ううちに、とどめをさす方法がだんだんわかってきた。首を落とすのが一番確実だが、オトヤにはウチナリのように一撃で首を切断する技量はない。もう一つの方法は鳩尾みぞおちを深く突き刺すことだった。手数を増やして相手の隙を突き、何度か鳩尾を貫くと、狂い人は動かなくなる。
 アズサはオトヤの動きに合わせ、矢を放つ。狂い人は痛みを感じていないことがすでに分かっていた。肩や胸に矢が刺さっても何かにぶつかったような反応しかせず、刺さったまま動き続けていたからだ。だから、足を狙うように切り替えていた。狂い人は平衡感覚に乏しいらしく、足に矢が刺さるとよく転ぶ。いまもオトヤに向かう狂い人に向けて矢を放ち、何体か転がしていた。
 確実に数を減らすことができている。数は負けているが、実力はこちらの方が上だ。時間をかければ勝てるだろうが、それだと村への侵入を許してしまうかもしれない。ウチナリやワケノが加われば楽になる。それまでは少し無理をするべきか——そうオトヤが考えていると、左手に激痛が走る。
「いっ……!」
 声が漏れる。いつのまにか、左手にとげの生えたむちのようなものが刺さっている。剣で鞭を斬ろうと振り上げると、右の手首が別の鞭に絡め取られる。
「オトヤ!」
 アズサの声が聞こえる。左手の痛みが増す。刺さった鞭が生き物のように脈動している。左手が破裂しそうだ。鞭の先を視線で辿っていくと、狂い人の中にタオツキの顔が見えた。無表情だった。どくん、と心臓の音と左手の痛みが重なった瞬間、オトヤの意識は途絶とだえた。
 アズサはオトヤの右手が絡め取られたのを目撃し、オトヤを助けて撤退すべきだと判断した。弓から両短剣へ装備を切り替える。男に比べるとやはり筋力が足りないので、速射に優れた半弓と短剣を好んで使っていた。オトヤの右手から剣が抜け落ち、焦りが混じる。もう時間がない。オトヤの右手に絡まる鞭を短剣で斬りつけ、鞭の切断に成功する。地面に落ちた鞭の断面から気味の悪い黒く濁った液体がしたたった。
 オトヤの左手に刺さった鞭を切ろうとするが、後ろから首を掴まれる。振り向きざまに掴んできた狂い人の首に逆手で短剣を突き込む。アズサは狂い人を蹴り飛ばして再び向き直り、鞭の切断に取り掛かる。
「切れた!オトヤ、逃げるよ」
 アズサがオトヤの右手を引っ張るとオトヤの手に握り返され、引き戻される。
「なにやってんの、早く来なさい!」
 アズサは向き直り、さらに力を込めて両手で引っ張り返すがびくともしない。さらに刺されたはずのオトヤの左手でアズサの右手首をつかまれる。
 アズサはようやくオトヤの顔を見て戦慄する。狂い人のように目の焦点が合っていなかった。ずん、と両腕に衝撃を受ける。二本の鞭がアズサの両腕に刺さっていた。

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