第一話 回復

 イセイとオキヒが冥界を求めて探索に出た日の夜。ミヒルは足の怪我により熱に浮かされ、シキの小屋で眠っていた。ミヒルが眠りにつく前、食事や薬を探してくると言い残し、シキは小屋を留守にしていた。
 それからどのくらい経っただろう。熱と痛みでミヒルの意識は浮上したが、まだぼんやりとしている。誰かがかたわらに座っている。どうやらシキが戻ってきているらしい。
 額に手が添えられる。冷たさが心地よかった。喉がひどく乾いている。
「シキ、様。水を、いただいても、よろしい、でしょうか?」
 かすれた声しか出せない。頭の下に手を差し込まれ、上半身を抱えられる。シキにしては体が大きい。
「あな、た、は?」
 ミヒルの上体を抱えていたのは妙齢の女性だった。目を細めながらうっすらと微笑み、顔を近づけてくる。ミヒルの唇に、柔らかいものが優しく押し当てられる。口移くちうつしにより水を与えられているようだ。口の中に甘さが広がり、ミヒルのかわきをいやした。
「まだ休んでいるといい。これは夢だよ。目覚めたら忘れているたぐいのね」
 女の両目が幻惑的な光を帯びているように感じたが、猜疑心さいぎしんが生じる間もなくミヒルの意識は再び闇に落ちる。

 イセイとオキヒが冥界とするのにふさわしい洞窟を発見し、野営した夜。ふいにオキヒは目を覚ます。ひどく懐かしい気配を感じた気がしたのだ。だが、その感覚はあまりにも茫洋ぼうようとしていた。それが何なのかオキヒには思い至らず、かすかな引っ掛かりを心に残したまま再び目を閉じた。

 翌朝。イセイとオキヒは冥界を作成し、オオシはその管理者となり、仔狼のタルケはイセイの眷属となった。
 二柱と一匹がシキの小屋へ戻ると、ミヒルの顔色は前日と比べてはるかに良くなっていた。
「体力が回復したら、じきに目を覚ますと思うよ。さすが神の体だね。回復が早い」
 シキの顔色も明るい。シラスは峠を越え快方に向かったようだ。オキヒとイセイがシキに今朝の出来事を話している間、タルケは小屋の隅で丸まっていた。ミヒルとシキを警戒しているらしい。その日のうちにミヒルは目を覚まし、起き上がれるまで回復した。
「シキ様、大変お世話になりました。ありがとうございました」
 ミヒルは少し痩せたようだった。
「いや、私も一緒に地上に降りていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。補佐役として力不足だったよ」
 シキは頭を下げて謝罪する。
「とんでもない、私の油断が招いた結果です。命を救われた恩、いつか必ず返します」
 ミヒルは恐縮する。イセから授かった磐撫いわなでの剣の力を解放していれば不覚を取ることもなかっただろう。
「そうかい。私は忘れておくから、気が向いたときにでも返しに来たらいいよ」
「はい、必ず。それとオキヒ様、不甲斐ふがいない姿を見せてしまい、申し訳ありませんでした。イセイを助けていただき、ありがとうございます」
 ミヒルはオキヒに向き直って頭を下げる。
「オキヒ、イセイ……あ、偽名だったね」
 シキがきょとんとしてつぶやく。オキヒはホムラ、イセイはキサイ、ミヒルはシラスの偽名だったか。シキはあまり偽名で呼ぶ機会がないため、馴染なじみが薄い。
「僕は僕のやりたいように動いただけだよ」
 ミヒルから謝罪されたがオキヒは全く迷惑をかけられたと感じていない。適当な暇つぶしが見つかったくらいにしか考えていなかった。
「それでもありがとうございました。……イセイ、足の回復にもう少し時間がかかりそうです。心苦しいですが、もう少し待っていてください」
「お待ちしています。気にせず、しっかりお休みください」
 イセイは本心からミヒルの体をいたわっている。
「かあさまの、かたき」
 イセイのそばに移動していたタルケが顔をのぞかせ、シラスを睨みつけている。
「タルケ……」
 イセイは、ミヒルがオオシの首を落としたのはやりすぎだったのではないかと感じていた。それに本来の山の主はオオシであり、タルケではなくオオシを眷属にすべきだった。タルケになんと声をかけて良いものかわからず、ただ抱きしめた。その光景を見つめるシラスの表情が暗いのではないかとオキヒは感じたが、痩せて目元が落ち窪んで見えるせいだろうとあまり気にしなかった。

 ミヒルの回復を待つ間、オキヒとタルケとともに、イセイは千里勾玉せんりのまがたまを山の頂上まで設置しに行くことにした。二柱と一匹は隠舟かくれぶねを呼んで乗り込む。隠舟は樹上の高さまで浮かび上がり、山頂へ進んだ。
 イセイとオキヒ、タルケが山頂を目指して出かけた後、シキは出かけることにした。
「シラス、すまないけど少し出かけてくるよ。また食べ物を取ってこようと思う」
 シキは小屋の中の大きなかごを背負う。
「申し訳ありません、雑用をさせてしまって。ありがとうございます」
 ミヒルは体を起こそうとしたが、シキはそれを手で制す。
「まあまあ。大した手間ではないよ。それじゃあね」

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